CATEGORY: THE LAST MOON VILLAGE / RESIDUAL MEMORY
STATUS: REDEVELOPMENT IN PROGRESS / HISTORICAL PRESERVATION ZONE
韓国、ソウルの北東端。近代的な高層マンション群が立ち並ぶ蘆原区(ノウォング)中渓洞(チュンゲドン)のすぐ裏手に、時間の流れが半世紀以上も停止したような異様な光景が広がっている。その名は「ペクサマウル(104村)」。急峻な仏岩山(ブラムサン)の麓に、剥き出しのセメント、古いトタン、積み上げられた煉瓦、 federal、そして入り組んだ路地がへばりつくように形成された、ソウル最後とも称されるタルトンネ(月の街)である。
「タルトンネ」とは、直訳すれば「月の街」。月がよく見えるほど標高の高い不毛な傾斜地に、貧しい人々が身を寄せ合って作った集落を指す言葉だ。ペクサマウルは、単なるスラムではない。それは1960年代から70年代にかけて、韓国が「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済成長を遂げる中で、都市開発という名の嵐によって都心を追われた人々が、生きるために築き上げた「生存の記録」そのものなのである。本稿では、消滅へのカウントダウンが始まったこの「104番地」の記憶を、多角的な視点から保存していく。
1. 観測される「垂直の迷宮」
航空写真を通じて、ソウル北東部を俯瞰してほしい。整然とした格子状の道路と巨大なアパート群(アパトゥ)の連なりが、ある一線を境に突如として崩れ、灰色の細かな粒子が斜面を覆っている箇所が見つかるはずだ。そこがペクサマウルである。この場所を航空写真で観測することは、韓国の現代史における「光と影」の境界線を直視することに等しい。
かつて、ソウル都心の龍山(ヨンサン)や清渓川(チョンゲチョン)、永登浦(ヨンドゥンポ)などで暮らしていた人々は、国策による都市整備によって住処を奪われ、文字通り「街の外」へと押し流された。彼らが最後に辿り着いたのが、当時は人里離れた荒地であったこの斜面だった。住民は自らの手で岩を砕き、土を盛り、一つ一つの家を積み上げた。航空写真に映る不規則な屋根の重なりは、公的な都市計画が介在しない、生存本能だけが描き出した地図なのである。
もし可能であれば、ストリートビューでこの街の「境界線」を歩いてみてほしい。道路一本を挟んだ向こう側には、数億円の価値を持つ最新のアパートメントがそびえ立ち、こちら側には剥き出しの練炭が積まれ、共同トイレの跡が残る路地が続いている。このあまりにも暴力的なまでの「豊かさの格差」が、ソウルという都市が歩んできた道のりの真実である。ペクサマウル(104村)という名は、かつてこの地域の住所が「中渓洞104番地」であったことに由来する。数字だけで呼ばれた街は、いつしか名前を失った人々の安息の地となった。
2. 「104番地」の叙事詩:生存という名の闘い
ペクサマウルの歴史は、1967年に遡る。当時の朴正熙政権下で行われたソウル市内の無許可建築物撤去事業により、行き場を失った人々がここへ強制的に移住させられた。政府が彼らに与えたのは、わずか数坪の地面と、数枚のテント、 federal、そして「ここで生きろ」という非情な命令だけだった。
■ 自力更生と連帯の精神
初期の移住者たちは、電気も水道もない荒野で、文字通りゼロから生活を築いた。家の壁は、泥と藁、あるいは近くの工場から拾ってきた廃材でできていた。雨が降れば屋根が飛び、冬になれば仏岩山から吹き下ろす凍てつく風が容赦なく住民を襲った。しかし、この極限状態が住民の間に強い連帯感を生んだ。「クッス(麺)」一杯を分け合い、子供たちは路地全体で育てられた。ペクサマウルの路地が異常なほど細く、複雑に入り組んでいるのは、少しでも多くの家族がこの地に留まれるよう、家を隙間なく建て増していった結果である。
■ 練炭の街:冬の記憶
ペクサマウルを語る上で欠かせないのが「練炭(ヨンタン)」である。ソウルの大部分が都市ガスへ移行した21世紀においても、この街では練炭が唯一の熱源であった。急な坂道を練炭を積んだリヤカーが登る光景は、この街の日常だった。冬が近づくと、多くのボランティアが「練炭配り」に訪れる。それはこの街が抱える貧困の象徴であると同時に、ソウル市民が忘れかけていた「情(ジョン)」という感情を確認するための儀式のようでもあった。
■ 「不法」というレッテルとの共生
長年、ペクサマウルは公的には「不法占拠地」として扱われてきた。そのため、家の修理さえも制限され、インフラの整備は常に後回しにされた。1980年代から90年代にかけて、周囲が次々と再開発され高層マンションに変わっていく中、ペクサマウルだけが「開発制限区域(グリーンベルト)」に含まれていたため、奇跡的に――あるいは呪われたように――その姿を現代に残すこととなったのである。
【補足】「タルトンネ」という呼称の起源
「タルトンネ」という言葉が一般化したのは、1980年のテレビドラマ『タルトンネ』がきっかけとされています。しかし、その語源には「月に近いほど高い場所にあるから」という説のほかに、「毎晩、部屋の隙間から月の光が差し込むほど家が粗末だったから」という、より切実な説も存在します。ペクサマウルの住民にとって、月はロマンチックな鑑賞対象ではなく、自分たちの窮状を照らし出す冷徹な監視者でもありました。
3. 当サイトの考察:再開発と「保存」のジレンマ
2026年現在、ペクサマウルは大規模な再開発の渦中にある。老朽化した建物は倒壊の危険があり、衛生環境も限界に達している。かつての住民の多くはすでに街を離れ、空き家となった家々には「撤去」の赤い文字が刻まれている。しかし、ここで一つの試みがなされている。それは、集落全体を破壊してマンションを建てるのではなく、一部の路地や建物を当時のまま保存し、低層の公共住宅として再生させる「歴史保存型再開発」である。
この試みには賛否両論がある。「貧困の歴史をなぜ残すのか」「一刻も早く現代的な住宅を」と願う元住民がいる一方で、建築家や歴史家は「これがソウルの成長を支えた無名の人々の唯一の遺産だ」と主張する。当サイトの視点から言えば、ペクサマウルは単なる建築物の集合体ではない。それは、暴力的な都市開発に対する、人間の「適応力」と「抵抗」のモニュメントである。すべてを消し去ることは、その地で懸命に生きた数万人の人生そのものを否定することに繋がらないだろうか。
ペクサマウルの再開発が完了した時、そこには新しいアパートが建つ。しかし、その地下深くには、かつて岩を砕いて築いた石積みが残るだろう。消えゆく街を記録することは、未来のソウルに対して「かつてこのような生があった」という証言を残す行為に他ならないのである。
4. 蒐集された噂:104番地の「消えない声」
人が去り、建物が朽ちていく中で、ペクサマウルにはいくつかの不穏な、あるいは郷愁を誘う噂が漂っている。
-
◆ 壁の中から見つかる「新聞紙の断層」
空き家の解体作業中、崩れた壁の中から1960年代や70年代の古い新聞紙が大量に発見されることがある。これは当時の住民が、断熱材を買う金がなく、壁の中に新聞紙を何重にも詰め込んで寒さを凌いでいた跡である。新聞に記された「経済成長」の輝かしいニュースと、それを壁にして震えていた住民の現実。そのあまりのギャップに、作業員が手を止めることも少なくないという。 -
◆ 深夜の「練炭リヤカー」の音
すでに住人がいなくなったはずのエリアで、深夜に「ガラガラ……」とリヤカーを引く音が聞こえるという噂が、周辺のアパート住民の間で囁かれている。それは、かつてこの坂を上り下りした無数の労働者たちの、染み付いた記憶が再生されているだけなのか、あるいは愛する家族を温めるために練炭を運び続けた父親たちの強い意志が、今もこの斜面を彷徨っているのか。 -
◆ 消えない「路地の笑い声」
昼間、静まり返った空き家地帯を歩いていると、ふと子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。しかし振り返ってもそこには崩れかけた塀があるだけだ。ペクサマウルが最も活気に満ちていた時代、路地は子供たちの唯一の遊び場だった。彼らにとってこの街は、貧困の象徴などではなく、無限の冒険が広がる宇宙だった。その純粋な喜びの記憶が、土地に刻まれているのかもしれない。
ソウル特別市蘆原区中渓本洞(ノウォング・チュンゲボンドン)。
ソウル中心部(ソウル駅周辺)から地下鉄4号線に乗車し、「上渓(サンゲ)駅」または「堂嶺(タンニョン)駅」で下車。そこからバス(1142番など)に乗り換え、「中渓本洞終点」で下車。所要時間は約1時間〜1時間20分程度。
■ 観光スポットとしての側面:
近年、この街の独特の雰囲気に惹かれ、多くの写真家や映画製作者が訪れるようになった。映画『国際市場で逢いましょう』や、数々の韓国ドラマのロケ地としても知られている。また、住民を元気づけるために描かれた「壁画」が点在しており、再開発が本格化する前までは「壁画村」として散策する若者の姿も見られた。
■ 観測時の注意事項(重要):
1. 現在、再開発による立ち入り制限や工事が進んでいるエリアがあるため、現地の誘導に従うこと。
2. まだ一部の家屋には住民が生活している。彼らのプライバシーを侵害するような撮影や、大声での会話は厳禁である。
3. 建物は非常に老朽化しており、特に雨の日は崩落や滑落の危険があるため、足元に細心の注意を払うこと。夜間の不用意な立ち入りは推奨されない。
5. 周辺の関連施設と蘆原区の素顔
ペクサマウルを訪れたなら、その周辺にある施設や、中渓洞という街が持つ多面的な顔にも注目してほしい。そこには「教育熱心なソウル」という、もう一つの現代的な顔がある。
-
・中渓洞ハグォン(塾)街:
ペクサマウルからわずか数キロの場所には、ソウル三大塾街の一つに数えられる巨大な教育エリアが広がっている。夜10時を過ぎると、塾を終えた子供たちを迎えに来る車で溢れかえる。この「過酷なまでの教育競争」と、隣り合わせにある「タルトンネの現実」こそが、韓国社会の両極端を象徴している。 -
・仏岩山(ブラムサン)自然公園:
ペクサマウルの背景にそびえる美しい山。登山道が整備されており、頂上からはソウル市北東部を一望できる。ここから見下ろすと、ペクサマウルの灰色の屋根が、いかに山の緑とマンションの白に挟まれた狭い空間を占めているかがよくわかる。 -
・グルメとお土産:
中渓洞周辺には、伝統的な市場「サンゲ中央市場」がある。ここでは安くて美味しい「クッパ」や「トッポギ」が楽しめる。ペクサマウル周辺を歩いた後に、かつての住民たちも通ったであろう市場で温かい食事を摂ることは、この土地の記憶を味わうことでもある。お土産には、蘆原区の特産品はないが、伝統菓子「カンジョン」などが地元の人々に愛されている。
ソウル特別市蘆原区庁。再開発計画や歴史的保存区域の詳細情報が公開されている公式リソース。
Official: Nowon-gu Office, Seoulソウル都市再生ポータル。ペクサマウルを含むタルトンネの再生事例や、都市開発史の資料が閲覧可能。
Seoul Urban Regeneration Portal断片の総括
ペクサマウル。そこは、光速で進化を続けるデジタル都市ソウルが、その成長の過程で置き去りにせざるを得なかった「記憶の澱」のような場所です。急峻な斜面に刻まれた一軒一軒の家々は、名もなき人々がこの巨大な都市の一部として認められるために戦った、生存の足跡に他なりません。練炭の煙が消え、新しい建物が建ち並んでも、この「104番地」という数字が持つ重みが消えることはありません。
航空写真でこの地点を見つめる時、私たちは文明の発展がいかに多くの犠牲と、そして驚異的なまでの人間の強さによって成り立っているかを思い知らされます。ペクサマウルが消えゆく最後のタルトンネとなる時、それは一つの時代の終わりを告げると同時に、私たちが「共に生きること」の意味を再確認する時でもあるのです。月の光は今も変わらず、消えゆく路地を静かに照らし続けています。
STATUS: UNDER RECONSTRUCTION / MEMORY ARCHIVED

コメント